ご案内
私たち大人には、親知らずを含めて32本の永久歯があります。
最近は、食生活の変化で親知らずが退化傾向にありますから、実際には28本から32本というのが正しい永久歯の数でしょう。
わずか30本前後。
実に限られた数です。
私たちはこの限られた数の歯によって、単に食べ物を咀嚼するというだけではなく、コミュニケーションや生きがい、楽しみを十分に享受することができます。
逆に歯が1本でも欠けたり、痛みを感じたりすると、身体的・精神的・社会的なすべての面で決定的とも言えるようなマイナスの影響を受けます。
まさに生涯にわたって身体にも心にも、また社会生活にも重大な影響を及ぼす器官、それが歯であると言っても過言ではありません。
ところが、あまりにも身近な器官であるためか、その重要性にもかかわらず、一般に歯の治療や影響力に無頓着であることが多いのも事実です。
それによって失われることは、想像以上にたくさんあります。
歯の不具合は、身体や心、あるいは社会生活にどのような影響をもたらすのか、人が生きていく上で健康な歯が「幸福」とどれほど密接に結びついているのか、いかに「歯」が大切なものであるかについて、概観しておきたいと思います。
歯が痛い、ぐらぐらする、欠けている、といった不具合がある時、私たちがこうむる一番の影響は「食べ物をよく噛めない」ことです。
少し硬いものだと噛めない。
干した魚や硬い木の実を食べていた縄文時代の人々は、1回の食事で4千回噛んだとも言われていますが、やわらかい食べ物に慣れている現代人はどうでしょう。
縄文時代の人々とは比べものにならないほど、噛む回数が少ないのは明らかです。
しかも歯に不具合を起こすと、噛む回数はさらに少なくなり、あまり咀嚼しないまま食べ物を胃に送り込みます。
十分に咀嚼しないと唾液の分泌も不十分になり、これによって胃に負担をかけ、消化不良を引き起こします。
あるいは固いものが食べられないことによって食生活が変化し、それによって十分な栄養を摂ることができなくなり、栄養不良を起こします。
栄養不良は気力を失わせ、それによって人生に悪影響を及ぼす結果にもなりかねません。
それらのことを考えただけでも、人にとって「噛む」という行為は、重要な意味を持っていることが分かります。
詳しく説明すると、人は噛む時に唾液が出てきます。
その唾液は食べ物の消化作用や溶解作用、口の中の洗浄作用、抗菌作用など多くの働きを持っています。
ところが十分に噛めなくなると唾液が少なくなり、当然ながらこれらの働きが阻害されます。
まず唾液の中にはアミラーゼ等の消化酵素、ホルモン、神経成長因子などが含まれていますが、これらが分泌されなくなるために健康を害します。
また、唾液と一緒に分泌されるものとして唾液腺ホルモン、パロチンがあります。
これらは若返りのホルモンと言われるほど、若さを保つためには重要なものです。
唾液の量が減ると、当然、パロチン等も不足し、結果、髪が抜けたり、関節が変形するなど老化現象が加速することもあります。
経験されている方ならすぐにお分かりいただけると思いますが、唾液の分泌量が減少すると、口の中が乾き、粘膜がひび割れて、味覚が悪くなるばかりか、ねばねばした苦い味が口腔内を満たし、それだけで不快です。
そうなると、常に水などで口を湿らせていないと、会話さえままならなくなります。
さらに、バーニングマウスシンドロームといわれる、口腔内の灼熱感にも発展することがあります。
老化との関係で言えば、よく噛まないことによって、脳の賦活化か阻害される点も無視できません。
脳の細胞間の連絡をつかさどる神経伝達物質の分泌が低下するのです。
私か指導した研究の中で、次のような興味深い研究があります。
ねずみの歯を抜いてやわらかい食事だけを与える実験なのですが、この場合、明らかに学習能力が低下し、記憶力も減退。
生化学的にも脳内の重要な神経伝達物質であるアセチルコリンが著しく減少しました。
人においては、老人性認知症の原因になります。
この原因は、関節や筋肉が十分に働かないことにあります。
顎の骨や顎の関節、口を開閉する筋肉には、多くの脳神経が分布しており、絶えず脳との間で情報のやり取りをしていますが、関節や筋肉が十分に働かないことによって情報伝達量が激減し、そのために脳神経の退行を生ずるのです。
別の観点から見ると、脳は脳脊髄液の中に浮かんでいる状態になっています。
この脳脊髄液を頭蓋骨が保護しているわけですが、頭蓋骨は1枚の骨ではなく、たくさんの骨が寄木細工のようにつながっていて、つなぎ目(縫合線)が噛むことによって動きます。
この動きが脳脊髄液にとってポンプのような作用を起こして、脳脊髄液の環流を助けているのです。
噛むことは脳からの血液環流に対しても同じ作用があります。
したがって脳脊髄液や脳の血液の環流を助けるのが、噛むという行為なのです。
それが十分に働かないために脳の賦活化か阻害されるのです。
痛みを感じている場合には、さらに注意が必要です。
痛みがあるということは、歯、あるいは歯の周りに病気が進行していることを示すからです。
虫歯にせよ歯周病にせよ、口の中の病気はほとんどが細菌感染症です。
炎症を起こして痛むのは、歯を通して細菌が浸透し感染しているということです。
私たちの身体の中は無菌状態です。
ここに少々の細菌が入り込んでも人には免疫がありますから、通常は駆除することができます。
ところが歯が痛い、ぐらぐらする、よく噛めないといった症状が起きるのは、歯、あるいは歯の周りの組織に感染症が発生しているからであり、しかも細菌が1u程度の中に、少なくとも10億個以上生息している可能性が高いのです。
このような状態で歯を噛み合わせた時に怖いのは、大きな圧力によって細菌が血管の中に押し出されていくことです。
歯が噛み合う時、最大約80s/dもの圧力がかかり、たとえ痛くて加減したとしても数十s/dという圧力がかかります。
つまり血液中にきわめて大量の細菌が混入されていくことになります。
この結果、組織の中に網の目状の毛細血管がある臓器に細菌が運ばれやすくなります。
この臓器には、心臓、肺、肝臓、腎臓、あるいは脳などがあり、いずれも重要な臓器です。
また、皮膚などにも毛細血管は多く存在します。
このような、歯とは遠く離れている臓器で感染症が発生しやすくなります。
とりわけ心臓や脳といった臓器に細菌が入り込んだ場合、生命の危機に発展する可能性があります。
奥歯が失われると歯が痛む、ぐらつくなどの不具合とともに、特に多いのは歯が抜け落ちた(あるいは虫歯などによって抜けた)ことによる不具合、それから入れ歯による不具合です。
人は、歯がないだけで死ぬわけではありません。
ライオンのような肉食獣にとっては牙を1本失うことは、そのまま狩りができないこと、すなわち死に直結しますが、人は特に最近は食べ物がやわらかくなっていますから、たとえ全部の歯がなくなったとしても死にはつながりません。
しかし、奥歯が抜けてしまったという場合、想像以上の不具合が生じます。
奥歯の存在は、実は顔の長さを決定している最大の要因なのです。
奥歯はあたかも「ヘラクレスの柱」に似ています。
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